History/Auspicious
時代 | 元号 | 西暦 | 出来事 | 根拠 |
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奈良 | 霊亀2 | 716 | 行基、霊山寺を開創 | 吾妻鏡 |
平安 | 10世紀頃 | 木造薬師如来両脇侍像(鉈彫、国重文)開眼 | ||
天暦6 | 952 | 村上天皇の詔により銅鐘が鋳造される(初代) | 銅鐘銘文 | |
寛仁4〜万寿1 | 1020〜1024 | 大江公資の妻、歌人相模参籠 | 相模集 | |
仁平3 | 1153 | 鳥羽上皇の院宣により、銅鐘を改鋳(二代) | 銅鐘銘文 | |
久寿1 | 1154 | 糟屋荘が立券、安楽寿院領となる 庄司は糟屋盛季 |
安楽寿院領諸荘所済注文 | |
平治1 | 1159 | 美福門院得子(鳥羽上皇の皇后)により糟屋荘の課役が免除される | ||
この頃 | 木造十二神将立像(県指定)造立 | |||
鎌倉 | 建久2 | 1192 | 源頼朝、政子の安産を祈願して神馬を奉納 | 吾妻鏡 |
建久5 | 1194 | 頼朝が娘の病気平癒のため霊山寺に参詣 | 吾妻鏡 | |
建久年間1190~99 | 後鳥羽天皇が頼朝に修造を命ず | 日向薬師縁起 | ||
承元4 | 1210 | 政子が霊山寺に参詣 | 吾妻鏡 | |
建暦1 | 1211 | 政子、実朝夫人とともに霊山寺に参詣 | 吾妻鏡 | |
この頃 | 薬師如来坐像、日光・月光菩薩立像、阿弥陀如来坐像、四天王立像(以上、国重文)、賓頭盧尊者坐像(市指定)造立 | |||
弘安1 | 1278 | 藤原定吉、源氏女が日向七所権現に懸仏を寄進 | 新編相模国風土記稿 | |
この頃 | 厨子(国重文)建造 獅子頭(国・県指定)製作 |
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南北朝・室町 | 暦応3 | 1340 | 銅鐘を改鋳(国重文・三代)、十二神将(国重文)を勧請 | 銅鐘銘文 |
この頃 | (伝)妙沢版木(市指定)製作 | |||
延文2 | 1357 | 唐櫃(県指定)奉納 | 唐櫃内側墨書 | |
貞治3 | 1364 | 足利尊氏の子、基氏(鎌倉公方)が大幡(県指定)を奉納 | 新編相模国風土記稿 | |
康暦2 | 1380 | 後円融天皇の綸旨により、三河、遠江の棟別銭で堂を修造 | ・管領斯波義将施行状・後円融天皇綸旨 | |
天文9 | 1540 | 大太鼓(県指定)の革を張り替える | 太鼓内墨書 | |
安土桃山 | 永禄12 | 1569 | 日向の山伏、津久井青根で武田信玄と戦い敗北 | |
天正19 | 1591 | 家康より寺領60石の朱印状を受ける | ||
江戸 | 万治3 | 1660 | 幕府から丹沢の立木100本を賜り、本堂(国重文)を修理 | ・棟札 ・新編相模国風土記稿 |
元禄2 | 1689 | 本堂扉の修理 | 扉金具銘文 | |
18世紀前半 | 鐘楼(市指定)建立 | |||
元文4 | 1739 | 千手堂建立 | 千手観音墨書 | |
元文5~延享2 | 1740~1745 | 本堂、仏像の修理 | ・本尊光背裏墨書・新編相模国風土記稿 | |
天保4 | 1833 | 仁王門焼失、再建 | 新編相模国風土記稿 | |
この頃 | 金剛力士像(市指定)造立 | 賓頭盧尊者像墨書 | ||
明治 | 明治3 | 1870 | 宝城坊を残し、他の坊が廃絶 | |
明治33 | 1900 | 本尊薬師三尊、国宝(現、国重文)となる | ||
昭和 | 昭和40 | 1965 | 宝殿(収蔵庫)建立 | |
昭和49 | 1974 | 神木のぼり(市登録文化財)復活 | ||
平成 | 平成23.1 ~平成28.11 |
2011〜2016 | 平成の大改修-本堂の保存修理工事- |