日向山 宝城坊 日向薬師 公式ホームページ

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山伏

山伏・修験者【やまぶし・しゅげんじゃ】とは


山伏とは、山に伏し修行するが故に山伏といい、別名で修験者(しゅげんじゃ※修行して迷妄を払い験徳を得る )とも言われ山伏と修験者は同じになります。昔は山臥と書きましたが「伏」の字を使うようになって、その字に意味を持たせる様になりました。

そもそもこの山伏とは、修験道を実践している人の事で、修験道とは、山岳崇拝の精神を基とし、厳しい山々で修行し、懺悔などの厳しい艱難苦行を行い、困苦を忍び、心身を修練し、悟りを開いて仏果を得る日本古来のもので、万民救済をめざす実践的な宗教であるといわれています。日本人は古代から、山そのもの又は山にある岩や木に神が宿るとされ崇め立てる風習があり、山の神を信仰して来た山岳信仰を持っています。山自体をご神体(法体)として拝むことに始まり、山の中に入って修行をすることにより山岳が持つ自然の霊力を身に付け呪術的な験力を得る事を望んだのです。その後、仏教が伝えられると仏教と融和し、神道・儒教・道教・陰陽道等をも融合して日本独特の神仏混合の宗教文化として修験道が完成されていきます。

修験道の開祖は神変大菩薩・役行者(えんのぎょうじゃ)【本名、役小角(えんのおづの)】とされ、各地の霊山や山岳寺院には、そうした役行者の像が安置されています。日向薬師は明治初年まで修験場として有名で日向修験の拠点となっており、文明18年(1486)に本山派修験の棟梁、聖護院准后道興(しょうごいん じゅこう どうこう)が奥州巡錫のさいに逗留しています。しかしながら神仏分離により、日向修験を担ってきた多くの修験者は農家になりました。



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※衣装詳細

頭に頭巾(ときん)と呼ばれる多角形の小さな帽子のような物を付け、手には錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる金属製の杖を持ちます。袈裟と、篠懸(すずかけ)という麻の法衣を身に纏い山中での互いの連絡や合図のために、ほら貝を加工した楽器を持ちます。


神木のぼり【しぎのぼり】


毎年4月15日に斎行いたします春季本尊開扉大法会(春季例大祭)で行われる行事の1つで、山伏の姿を今に伝える数少ない伝統行事です。神木のぼりは伊勢原市無形民俗文化財に指定されており、修験者に扮した地元有志による神木のぼり保存会によって執り行われています。【※神木のぼり保存会は、保持団体として認定】以下が詳細になります。

当時の山伏は、長く厳しい修行を終えたその証として、山から椎の大木を切り出し、四方に柱を立て縄を張った囲いの中心に立てました。これが今の道場の原型になっており、この椎の木は神木(しぎ)であり、この椎の木の大木を切り出す作業は、日向の四地区の若い衆が総出で行ったと言われています。今現在行われている神木のぼりですが、江戸時代末期のものが基本形のようで、明治初期の神仏分離令によって廃止になったものを、昭和四十九年に百年の時を経て復活しました。山伏問答で始まり、斧で護摩壇を清め、弓矢で四方の邪気を祓い、本尊不動明王の前で剣を振って煩悩を断ち切り、修験道の歴史絵巻を展開していきます。最後に神木にのぼり、行の満願とまつりの催事安全、参詣者の安穏平安を祈る祈願文を読み上げます。この後、壇の薪木(たきぎ)に火を入れ、柴燈護摩となり参詣者の願いを書いた護摩木が火中に投げ入れられます。その火の上を行者が渡る火床三昧(かしょうざんまい)という火渡りの儀を行います。ほぼ燃え尽きたところで行者が渡り、その後に参詣者が続き紅白の餅が配られ終了となります。古来より続く修験道の雰囲気を感じて頂ける伝統行事になります。



例大祭での山伏


春季例大祭はかながわのまつり50選に選ばれており、年度末最後の御本尊の御開帳とともに、柴燈護摩供(神木のぼり・火渡り等)を行い、一年の中で最も盛大かつ厳粛な一日となります。また山伏の姿をご覧頂ける特別な1日になります。

2018年度、例大祭での山伏の写真になります。

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